同性愛者を受け入れられない私

私はリベラルを標榜しています。心から納得しているというより、リベラルであるべき、可能な限り偏見は廃さなければならない、そう強く意識した結果です。それに、保守派に堕してしまえば私の嫌いな家族第一主義、育児は女の本能、といった相容れない価値観と向き合うことになってしまいます。保守じゃないからリベラル、という立ち位置です。

リベラルを自認する人々が子どもを産まない人に寛容であるように、同性愛者にも寛容です。性的対象は個人の努力で変えられるものではなく、変えるべきでもありません。そうなっているのなら、社会の方が変わるべきです。例えば、男女のカップルに対してのみ認められている婚姻制度、そこから得られる恩恵は同性愛者にも対象を拡げてしかるべきだと考えています。

…ここまでは私もリベラルでいられます。正直、同性愛者が結婚しようとしまいと私に影響はないからです。

同性愛者と一緒に働くことも平気です。殆ど全ての男性が私に関心を抱かないように、確率の問題から考えて彼らも私に興味を示しません。

そしてここからが受け入れられないラインになるのですが、性の対象として見られるのは不快に感じます。

私は人並み以上に同性愛に関心がある方です。同性愛を扱った物語は、ある種の困難さを伴うが故に異性愛とは違う面白さがあるのでよく読みます。以前ブログで紹介した「ストレッチ」という漫画は同性愛者の異性愛者に対する片思いを描いたものです。近づきたい想いを抱えながらも相手の幸せを願う、欲望と愛情の微妙な塩梅が何気なく表現されている佳作です。

でも、同性愛を題材にしたフィクションを楽しむのと、同性愛を受け容れることは別なんですよね。

最初に入った会社でのことですが、同期全員で旅行したことがありました。夜、帰りを気にしなくて良い気楽さも手伝ってアルコールがどんどん進み、話題は恋愛に移りました。同期内で誰がくっつくのかといったありがちな話題で盛り上がっていた時、私と仲が良かった同期が

「私、ハルちゃんが好きなんだよねぇ〜、レズなんだぁ」

と言いました。場が凍りました。その場にいた全員の視線が私と彼女に注がれました。何か言わなければいけない、酔った勢いとはいえ勇気を出してくれたのかもしれない、ちゃんと応えないと…でも、でも、そんなことより私まで同性愛者だと誤解されたらどうしよう…!そんなの嫌だ!

視界がぐるぐるしました。その後どうなったのかは知りません。急に気持ち悪くなってトイレで吐いて、そのまま部屋に戻って寝てしまったからです。

翌日から私は彼女を無視しました。仲良くしていた間に、やたらとベタベタ触られたことも、キスされそうになったことも、学生気分が抜けないがゆえの甘えだと捉えていましたが、そうではなかったのだと気付いて悪寒がしました。

男性に告白されたなら、ここまで極端な対応はしなかったと思います。公衆の面前で言われたためか、私の頭を占めたのは「私は同性愛者なんかじゃない、そんな気持ち悪い人と一緒にしないで」という差別感情がむき出しになったものでした。口では綺麗なことを言いながら、理解のある私を演じながら、実は彼らの存在を認めてはいなかったのです。

それ以来、踏み込んだ付き合いを避けるようになりました。相手が仲良くなりたい素振りを見せた途端、一歩引いてしまいます。それが友情なのか愛情なのか分からないから。腕を組まれたり、手をつながれると(日本じゃあんまりやる人はいませんが、外国だと人によってはよくやります)体が硬直します。自身を守らんがためとはいえ、不誠実な態度は好意を寄せてくれる人に対して失礼です。分かっていてもどうにもなりません。

人の目を気にしすぎなのだと思います。同性愛者だと誤解されても別に構わないはずなのです。誤解されて困るのは、私が未だに彼らを下に見ている証拠です。どんな人とも分け隔てなく付き合っていきたいんですけど、ね…。