子どもに対する親の経済力の影響

今日は国際家族デーなので、私の家族について書いてみます。

私は塾にも行かせてもらえず、制服も買ってもらえない、所謂ネグレクトを受けていた子どもでした。実家は比較的裕福だったにもかかわらず、です。

ただ、両親は納得出来ない支出を渋っただけで(正直常軌を逸する部分は多々ありましたが)、裕福な家庭に生まれたということは私の人生に良い影響を与えたと感じています。

私は実家の経済状況を一度も心配したことはありませんでした。大学は奨学金を借りなくては、経済的に地元の国立にしか行けないとか、高校を卒業したら働かなくては、といったことを考えずに済んだことは、実は大きなことだったのだと思います。金銭的なことは一切気にせずに、自身の気持ちだけ考えていればよかったのですから。

親元を離れてからも、両親に金銭的な余裕があることは私を間接的に助けてくれています。例えば家を買いたいと思った時に、ローンを増やすのではなく両親から贈与を受けることが出来たら、タダで貰ったお金だからもうちょっと良いところにしようかな?と思うかもしれません。そうでなくても、彼らを金銭的に援助する必要がないのは今後の見通しを立てる上で大きな安心を与えてくれました。介護を完全に他人に任せておけるというのも嬉しいところです。

他には、両親は色々と高価な体験をさせてくれました。海外旅行もそうですし、海外の学校で勉強することもそうです。日本の外に目を向けさせてくれたことは、現在留学していることと確実に繋がっています。実家にメイドがいたので、家事代行を頼むことは普通に感じられます。父親が新し物好きだったおかげで、CDやDVDプレーヤー、パソコン、インターネット等は黎明期から触れることができました。

両親は彼らが必要だと考えるものには支出を惜しみませんでした。私にとっては必要でも両親にとっては無意味なものには出さなかったため、随分振り回されたというか子どもとしては肩身が狭い思いをさせられましたが、可能性をたくさん見せてくれたという意味では良い両親でした。

実家を出てから金銭的に彼らを頼ることはなくなりました。顔をあわせることも殆どありません。親を頼らずに済むこと自体に誇りは持っているものの、残念ながら今の自分自身、判断力や努力の元となったのは、やはり親の経済力や教育に依るものだという思いが強くあります。感謝するつもりはありませんし、彼らを嫌いなことには変わりありませんが、ただ私の大部分は彼らが作ったものだということは、折に触れて思い出しています。