少子化改善の鍵は低コスト化では

セックスについて知人と話していた時のことです。気分が乗ろうが乗るまいが夫の要求には即座に対応するようにしている、ムード作りはしてない、面倒臭いと下だけ脱いで愛撫も飛ばしてさっさとやってしまう、と話したところ非常に驚かれました。大事にされてないんじゃない、大丈夫?と。

私は向上心があまりないので、手間をかけないセックスでも全く平気です。というより、毎回内容が充実したセックスをするのは疲れてしまう気がするので。

真面目な女性って大変そうだな、と話をしていて思いました。夫とは愛し合っていなければいけない(別に仲が悪い時があってもいいじゃん)、家は綺麗に飾らなくてはいけない(寝れればいいじゃん)、そして子どもー。良い学校に入れて、休日にはマフィンを作ってあげて、色々なところへ旅行して良い経験をたくさんさせてあげたい…(…うん)。

どれも大変結構なことだと思います。でも、善悪とは別に、そういう暮らしって手間がかかるんですよね。疲れちゃわないかな、と心配になります。そしてそれに付き合わされる彼女の家族を気の毒に思います。家でゲームしていたい年頃じゃないのかな、とか。

私はさほど手をかけられずに育ち、就職したときは高卒でしたが、特に不自由なく暮らしています。そのせいか、子育てに力を入れることが個人の能力の育成に役立つとは思わないのです。第三者的な視点から見ると、手をかけてもかけなくてもダメな時はダメ、という気がします。いざ子育てする段になったら心配になってあれこれやってしまうことは目に見えてはいるんですけどね。

健全な家庭、優秀な子ども。そんな風に心理的なハードルを上げてしまうから少子化は解決できないのだと推測します。形を整えるのに苦心するよりは、本人のやりたいことをやった方が良いのでは、と思うのです。”きちんとした”セックスをしている彼女と、情緒もへったくれもないお手軽セックスをしている我が家のセックス回数を比べると、その思いは強くなります。