【読書感想文】酒鬼薔薇聖斗の手記

私は犯罪者をモチーフにした映画が好きで、これまで『キャッチミーイフユーキャン』や『ウルフオブウォールストリート』(どちらもディカプリオ主演ですね)等を観てきました。これらの映画に出てくる詐欺師らが手記を書くなどして自身の犯歴を元手に出所後稼ぐことについても肯定的です。

でも、この手記については買う気が起きません。おそらく、私は犯罪者の頭の良さや常識の裏を掻く手腕に惹かれてこの手のものを愛好しているのであって、単なる芸のない殺人にはさしたる関心が持てないからだと思います。

とは言え、ゴシップ的な興味は掻き立てられたので、さわりだけ読んでみました。

彼は私と同年代ですが、30代の人間にしては余りに幼稚な精神性にビックリしました。事件当時の声明文と何ら変わるところのないレトリック、言葉の選び方…そして自己の特別性を信じて疑わない純粋さ。

未だに彼の人生のピークは事件当時なのだな、パッとしない自分(ありふれた非正規労働者)を手記を出すことで再び『特別な自分』にしたいのだろうな、そう感じずにはいられませんでした。残念ながら、刑に服することを通じて得たものはなかったようです。

殺人をこう表現してしまうのは気が引けますが、努力なしに彼の望む評価を得る経験をしてしまったことは、彼の人生に対する真摯さを根本的な部分で損なってしまったのだと思います。殺人にはある程度の適性が必要だとは思うのですが、殺すことそれ自体には大した技術も努力も要りません。しかしながら殺人が至上の禁忌である以上、社会は反応します。普通なら恥に思い、二度と今までの人生が戻ってこないことを悔いるところでしょうが、それが犯罪者であろうが何か特別な存在に憧れる者にとっては、人々の嫌悪は賞賛にしか映らないでしょう。暗いクラスメート、冴えない中年非正規労働者であるよりも殺人鬼である方が好ましいと考える理路は理解できます。

私は、自分自身を価値がない存在だと考えています。自身を価値がないと思っていた私は、他人も同様に価値がないと決めつけていました。虐められれば当たり前に相手の死や不幸を願い、相手の目を抉り延髄にバットを叩き込む妄想に溺れました。自殺を考えた際には、繁華街で殺せるだけ人を殺してから死のうと思っていました。実行を思い留まったのは、重大犯罪はほぼ確実にバレると知っていたことと、価値のない他人のために(他人よりは)価値のある自身の将来を損ねたくはなかったこと、未来に思いを馳せる余裕が多少はあったこと、それだけでした。

今、犯罪に走らない理由は、会社の不名誉になること、それは個人の不名誉より余程重大な問題であると感じていること、加えて夫や義両親に迷惑をかけないためです。若干理由が人間らしくなりましたね。手前味噌ですが、それなりに誠実に人生と向き合い、仕事を得て家庭を持ち、彼らを大事にするために努力を重ねた結果、「誰かは誰かにとって唯一無二の人なんだなぁ。他人の人生は私のと同じくらいドラマを孕んでいるんだなぁ」と何となく理解した結果です。

私が理解したことを20年前の私に言ったところで、何も響かないことは分かっています。経験なしに物事を芯から理解できるほど人間は賢くありませんし、人はそう簡単に誰かから学ぼうとは思いません。同様に、いくら私や社会が酒鬼薔薇聖斗氏に彼が損ねたものの大きさを説いても、彼には理解できないでしょう。これまでの日々の積み重ねは彼にとってただの時間の経過に過ぎなく、彼の心は常に事件当時にあるのですから。どんな教育も経験も、生かそうと思わない者のところへは届きません。

手記は間違いなく売れるでしょうし、そのことは彼を喜ばせ、ますます過去へ耽溺させる結果に終わるでしょう。おそらく彼は被害者の痛みを理解することもなく、地道に人生に立ち向かう価値も分からないまま生きていくのだと思います。また、彼と同様の幼稚な精神の持ち主は世の中にたくさんいるだろうと想像します。彼らのうちいくらかは『恐ろしく、理解できない』犯罪に手を染めることでしょう。残念ながらそれが現実です。どうすることも出来ません。深い徒労感と共に本屋を後にしました。