安全保障関連法案、憲法改正について

この方面には無知な上に考えもまとまりませんが、つらつらと書いてみようと思います。

私の立場は改憲派です。

 

憲法第9条は、日本政府が戦争することを禁じています。

法律を扱う仕事をしていて面白いな(困るな)と思うことの一つに、一見厳密に書かれているように見えてもそうではない、解釈に迷うケースが多々有るという点が挙げられます。9条も一緒ですね。『国際紛争を解決する手段としては、永久にこれ(戦争・武力)を放棄する』字句通り読めば、戦争を仕掛けてはいけないのは勿論ですが、攻撃を受けても反撃してはいけないようにも読めます。国際紛争の定義が明らかにされていませんからね。例えば中国と日本の間に紛争が発生して、中国が日本を攻めてきても、『国際紛争を解決するため』には武力行使はしてはいけないと解釈できそうです。

幸いにも、戦後一度も日本は大規模な侵略を受けていません。それは植民地を獲得したり、敗戦国から多額の賠償金をせしめる所謂帝国主義が時代遅れになったこと、多国間競争の主戦場が軍事から経済に移ったことが影響しています。

だから私としては、憲法改正しなくてもいいんじゃない?と思っていたわけです。時代遅れの戦争を少なくとも先進国同士ではやることがなくなった、それよりも経済封鎖の方が痛手になる世の中になった、じゃあ、日本は経済で頑張ればいいじゃん?と。

ですが、イラク戦争、中国の台頭、経済制裁を受けてもなお気を吐くロシアの存在を見て、段々その考えも変わってきました。特に経済制裁が効かない国があるという事実は大きかったです。資源と食べ物がある国は、一切輸入ができなくなっても生きていけます。考えてみれば当たり前ですが、衝撃でした。そして日本はその条件に当てはまる二国がすぐそばに存在しています。

大国は未だに何かと理由をつけては他国を侵略する、そのとき軍事的には大国とは言えない日本はどうすればいいんだろう?他国と協力しあって大国を牽制する、即ち武力を持たなければ危ういのではないか、そう思いました。

もちろん、将来あるかどうかも分からない自国への侵略に対抗するために、他国間紛争に加担する、日本人が血を流すことはどうなんだろう、とも思います。夫や私が戦場に赴くことを考えると、不測の事態に備えてという言葉も虚しく響きます。備えることが大好きな私でも、身の安全を差し出してまで備えたいとは思えません。

加えて、一度軍事力行使に舵を切ってしまうと歯止めが効かない懸念もあります。1992年のPKO法成立、自衛隊の海外派遣の際には、反対の嵐が巻き起こりました。あれから20年余り経ち、自衛隊は常にどこかに駐在するようになっていますが、少なくとも私はそのことを意識する機会はありません。慣れは、憲法改正後も間違いなく起こります。最初の派兵、最初の死者が出た時、そのときくらいは騒ぐでしょう。でも、そのうちニュースにもならなくなります。見えないことは無いことと一緒ですから、見えていないうちに事態が悪化しても、気づくことができません。そして、目に見えるようになった時点で事態が手遅れになっていることは歴史が教えてくれています。それならば、いっそ禁止したままの方が良い、そう思うこともあります。

また実務的な問題として、数十年も戦争をしたことのない軍隊(あえてこう書きます)が役に立つのかという懸念もあります。徒らに死傷者を増やすだけではないかと。ずっと以前に自衛隊幹部登用試験の一部を教えていただいたことがあるのですが、海岸での防衛戦の陣地をどのように敷くか論じるという古色蒼然とした試験内容に唖然としました。ええ、いつの時代?いや、公共施設や保安拠点へのテロ対策とか、そういったことを考えるのが先じゃないの!?と(そういう出題もあると信じているのですが)。また、富士総合火力演習を観覧した際にも同様の感想を抱きました。アメリカが無人機を使って職場から遠隔爆撃する時代に…と。総火演で最新鋭の兵器や作戦を見せてもらえるとは全く思っていませんが、なんというか、それにしても…と。

このように、運用面での不安や自分自身の身に危険が及ぶことも考えると、改正に大賛成!とはいきませんが、軍事力でしか対抗できない存在がある以上はこちらも武力で対抗せざるを得ないのだろうなぁ、という結論に変わりはありません。何事も起こらないのが一番ですけど、ね。