シベリアの笑顔

思い出すたびに複雑な気持ちになってしまう写真があります。

シベリアに強制移住させられたラトビア人が笑顔で写っている写真です。首都リガの占領博物館で見たものです。

ラトビアは、かつてソ連の一部でした。占領後、ソ連は被占領民をシベリア等の気候の厳しい未開墾地へ送り、代わりに彼らがいなくなった後の住み良い土地をソ連人に与えました。移住したラトビア人は最初の年だけでその20%が飢えと寒さにより命を落としました。

…そういった陰惨な説明文の隣に、満面の笑顔の写真。なんとも言えないギャップでした。

考えてみれば分かるのです。当時写真はとても珍しく、撮られることにはしゃいでしまうのは当然だ、もしくは笑えと命令された可能性もある、それに悲惨な暮らしの全てが泣き顔に彩られているわけではなく、厳しいなりの生活の喜びというものだってあるじゃあないか、だから笑顔の写真を以って彼らの歴史解釈を否定することは出来ない…。

でも、しかし、よりにもよってこの写真を展示する必要はなかったんじゃない?と思ってしまったのです。

アメリカや日本の博物館なら泣き叫ぶ写真だけを残すところです。日本のシベリア抑留資料館へ行ったことがありますが、写真がない代わりにジオラマで当時の苦しい暮らしぶりを再現していました。どのマネキンも苦悶の表情を浮かべていました。

そんな風に伝えたいものを意図した通り伝えられるよう取捨選択する習性みたいなものが私たちにはあります。笑顔のラトビア人は、そんな私の不誠実さを見通しているように感じられました。

うまく言葉にできませんが、過去を見つめる際にあまりにも多くのものを切り捨ててきてしまったのではという疑念、歴史を語るときだけではなく日常を書き留める際にも、書かれなかったものによって真実が決定的に損なわれたのではないかという不安等の、心の中のザラザラした部分ーそれらを写真は繰り返しなぞってくるように思われるのです。思い出すたび居心地の悪い気分になります。

 

余談

ちなみにラトビア占領博物館は言うまでもないでしょうが楽しい観光地ではありませんし、珍しい資料が見られるわけでもありません。ドイツやイギリスのような充実度を期待すると間違いなくガッカリします。しかしながらバルト三国の占領の歴史を知りたい場合にはラトビアのものが最も充実しているので、ご関心の向きには訪れることをお勧めします。絶滅収容所や刑務所等の実物をご覧になりたい場合は、リトアニアの第9要塞とKGB博物館がドイツ並みに保存状態が良いです。

金がかけられ、きちんと維持管理されている博物館を見ると、被害者の強い怒りが伝わってきて背筋が凍るような思いがします。周辺国に対する国民感情を把握するには、こういった施設の整備状況を見るのが一番だと思います。