障碍をアイデンティティにはしたくない

何度か書いていますが、私は障碍者です。

未だに病院通いが必要だったり、他にも不便だなと感じることがあったり、引け目を感じてしまったりと、障碍は今でも地味に、しつこく私の生活に影響を及ぼしています。

けれど、というか気にしているからなおさら、自身の障碍を大っぴらにしようとは思いません。ブログを書くときも、一切触れないのは不自然なので書くことはありますが、殊更に障碍のことばかり扱うつもりはありません。

私は平均よりはずっと学歴が高くて金持ち、しかも性格が悪いので、共感や愛着を呼ぶキャラクターではありません。それでいいです。どんな風に障碍を乗り越え、感動的な生を生きたか、なーんてことは書こうとは思いません。私は誰かに感動を与える道具ではないからです。日々の気づきを「障碍者ならではの私の視点!」として紹介しようとも思いません。ふっつーのサラリーマンがさも重大なことを発見した!私賢い!みたいな自意識過剰なタッチで書きたいと思っています。障碍者のハルさん、ではなく、ただのハルとして見られたいし、そのつもりで生活してます。

そんなことを、以下リンクの記事を読みながら思いました。


障害者は「感動ポルノ」として健常者に消費される--難病を患うコメディアンが語った、"本当の障害"とは | ログミー[o_O]