言えなかったこと:正義に関する私の考え

ウクライナ人と話していたら、マイケル・サンデル教授の話になりました。同教授は、様々なジレンマを取り上げて、どうすべきか議論させる授業をしています。1人を犠牲にして5人を救う決定権を持っていた場合、どうしますか?とかそういう話が好きな人です。NHKで授業を中継していたので、ご存知の方もいらっしゃるでしょう。

彼はそういった話が好きらしく、興奮して喋っていました。ただ、私はああいった議論そのものが好きではありません。強者の理論だからです。

純粋に学問としてなら面白いかもしれませんが、サンデル教授の理論は様々なところで意思決定の理由づけとして使われています。

個人的に、こういったことは施政者だけが学べばいいと思っています。彼らの手の内を知るという意味で、ざっと内容を把握する位はいいと思いますが、一般市民なのに政治家の視点で物事を考えるようになると、そのうち政治家の言説にシンパシーを抱くようになるというか、何事も客観的に見すぎてしまうおそれを感じます。

彼はそれに気づいているのかなぁと少し疑問に感じて、思わずこう言いそうになりました。

「ねぇ、ウクライナはEUから領土をロシアに譲渡するよう仄めかされているよね?ロシアもそうしたいって言ってる。EUはロシアのガスが欲しいし、今は輸出入を制限しているけど、本当はロシア向けの輸出を再開したがってる。道義的にどうかと思われるから堂々とは言えてないけど、みんなちょっとウクライナのこと、面倒臭いって思ってるよね。ウクライナのせいで、EU全体、世界全体の利益が損なわれているんだよ。ねぇ、どう?ロシアにあげちゃいなよ。ウクライナの不利益と世界の利益なんて比べるまでもない規模なんだから。サンデル教授がしている話って、つまりこういうことだよね?だから私は好きじゃないんだ」

いくらなんでもたとえが酷すぎると思ったのと、英語が達者でないせいで口に出すことはありませんでした。

正義なんて、ただの価値観で、道具です。どのようにも扱えます。どのような残虐な行為も正当化することができます。実際は人は利害でしか動かないものです。正義を振りかざして、いい人と思われたいという欲求も含めて。

正義、と聞くと思わず身構えてしまうのは、かつて正義を掲げてあちこちで戦争してまわり、こてんぱんにされた国の末裔だからでしょうか。