本能が壊れているのかも

普通の人だったら大事にしているものに興味がありません。

子どもは欲しくないですし、両親や親戚も大切ではありません。祖父母が亡くなった時も、ちっとも悲しくなりませんでした。さっさと夫と自分の喪服を用意し、職場に忌引きを申請し、受付やスピーチを滞りなく済ませと、社会人としてやるべきことはやったという達成感はあったものの、それ以外の感情は湧いてきませんでした。単身赴任する際にも、交通費が嵩むので頼むから誰も死なないでと、まず自身の都合が先に立った願いをするほど情が薄いです。

親戚よりは大切に思っているはずの友達、特に亡くなった友人に対してもそれほど感情が動きません。会わなくても平気ですし、会いたいとも もう一度話せたらとも思いません。思い出が残っているのだから、それ以上はもう必要ないと考えてしまうのです。

持ち家にも関心がありません。転勤もある職種なので買う気が起こらないのです。住宅手当等を加味すると買った方が得とも言い切れませんし。しかしながら同僚は家を購入しているので、やはり何か魅力があるようです。ただ、その魅力が理解できません。

同様に車も興味がありません。タバコや酒も嗜めますが、無くても平気です。

結婚も愛情に基づくものというよりは経済的な動機が先でした。籍を入れるだけで配偶者のお金をほぼ公然に所有することを許されるという、論理を超えた仕組みは活用しなければ勿体ないと思ったのです。私なら、自分のお金を例えどれだけ近しい相手にでもあげたくありません。なのに夫は欲しいといえばいくらでもくれます。担保も見返りも要求されません。実社会ではありえないことです。このメリットが無ければ結婚はしていなかったでしょう。

人間が本能的に欲するものの殆どを欲しがらないのは、やっぱり何かが欠落しているんでしょうね。不便を感じていないので問題はありませんし悩んでもいないのですが、強欲なのにこういった方面の欲求がないというのを時々不思議に感じます。