悪いもの叩きへの違和感

世の中には絶対的な悪が存在するということになっています。エクスキューズを挟む余地すらない悪です。

昔ですと、共産主義ナチスドイツ、現在だと二酸化炭素地球温暖化原因説、ロシアでしょうか。少しでも擁護、擁護ですらない疑問でも持つと、お前は人間でないといった目線を頂くことになります。

どんなに賢い人でも、逆に賢くて地位が高ければ高いほど、一度悪いものと認定されたものへの批判は舌鋒を極め、躊躇がありません。まだ評価が確定していないものに関しては両論併記というか、どの説も尤もなところがあるとにこやかに中立を装う、その落差を見ると、彼らは賢く振舞っているが知的には劣っていると感じてしまいます。私は基本的にひねくれているので、本当にロシアは純粋な悪なんだろうか、なんてことを考え始めてしまうのです。

先入観や常識は物事を迅速に判断・処理する優秀なツールなので、馬鹿にしてはいけないと思っています。でも、迅速を求められない場面では、それらを取り除いて再考するのも悪いことではないと思うのです。ハンナ・アーレントが、一般の人々がナチスドイツの行いは例外的な悪だったと思い込みたがっていたのに反して、悪は誰によっても、まさに考えることを止めた人々によってなされると痛烈なカウンターを浴びせたように。