馬との間に友情は成立するか

乗馬をしている人のブログを見ると、『馬と心が通い合って〜』といった文言を目にすることがありますが、「そんなあったかい気持ちになったことないんすけど…」と、なんだかそのブログ主さんが羨ましくなるような、勘違いなさってるのではと思うような微妙な気持ちになります。

同じ馬に続けて乗っていると、お互いに相手の癖を理解することはあり得ますが、それが友情か?というと甚だ怪しいです。単に「同僚のAさんはお酒が好きだから、たまには飲みに誘わなきゃ」「Bさんは子育て中で遅く帰れないからランチにしよう」と思うようなものです。業務を円滑にするための対処法を身につけるというだけのことで、それ以上でも以下でもないような気がします。

乗馬は主従関係の構築が命だと思います。騎手が技術的に未熟だったり自信なさげに乗っていると、まず指示を聞いてくれません。多少の力で言うことを聞かせようとしても無意味です。『こいつに逆らったら痛い目を見る』と理解させるのが、新しい馬に接する第一歩だと理解しています。技術はそれからです。私は馬がナメた真似をしたらすぐに殴りますし、鞭も使います。習い始めた当初は可哀想だと思いましたが、そういう関係なのだと割り切ってからは躊躇していません。

とはいえ、力では馬の方が圧倒的に強いです。蹴られたら最悪死にます。噛み跡も一生残ります。ですから、よく知らない馬に乗るのは怖いです。けれど、怖いと思ったら即見透かされて余計に危険なことになります。言うことを聞かないこともそうですし、落雷等で馬がパニックに陥った時に人馬ともに怪我をすることもそうですし。なので恐怖心を感じなくする訓練が必要になります。終始落ち着いていさえすれば、隣でガキンチョが爆竹を鳴らそうが(死ね)、犬が飛び出してこようが馬は落ち着いて指示を待ってくれます。心が通い合うなぁと思うのはこういうときですかね、私の場合は。不思議なくらい恐怖の感情は伝染します。

馬に騎手が主人だと認識させるまでは、馬の心はインストラクターのものです。乗り手の言うことなんて聞かず、インストラクターの指示に従って動きます。

以前に障害者乗馬のボランティアをしていたのですが、ほぼ心神喪失状態の人を乗せても、馬は荷物が乗ってるくらいにしか感じてないんですよね。気持ちは完全に手綱を持っている私の方へ向いていました。その団体はアニマルセラピーを謳っており、まさに『馬と気持ちを通じあわせて』云々という思想を持っていました。でも、馬の気持ちは全く乗り手に向かってないよ…?と胡散臭さを感じました。障碍者も何をしてるのか理解してる感じはしませんでしたし。子を思う親の気持ちに付け込んだ商売にしか見えませんでした。だって、乗馬の心得がある人なら指示を出せて初めて馬とコミュニケーションが取れるってことぐらい分かっていたでしょうから。こんなのに高いお金払っちゃってあ〜あ、と思いながら毎回馬を引いてました。

持ち馬とはより近しい関係が築けるのかもしれません。馬を飼うとなんだかんだで毎月10万近くかかり、また10年以上の付き合いになるため踏ん切りはつきませんが(つまり一頭1200万以上!)、いつか馬を持ちたいな、とぼんやり考えてはいます。