格差が生じるのはしょうがない

格差が生じるのはしょうがない、と思うことが時々あります。

私の通っている大学では、証券会社の重役やファンドマネージャーが教鞭を執ることがあります。彼らは仕事が終わった後に来て、大学で2時間とか3時間教えてくれるわけです。頭が下がります。

欧米では一生勉強という気風があって、仕事を持つ人でも働きながら、もしくは転職の合間に大学に通って、博士号まで取ってしまいます。パートナー(経営者)まで昇進すると、今度は大学で教えてアカデミック方面での実績を積むのが定番のようです。調べたことはありませんが、実務と学術方面でバランス良く経験を積むのが出世や転職に役立つのだと思います。

夫も、大学で教えたりはしませんが、時々講演をしたり、業界雑誌に寄稿したりします。彼は海外の大学院を出ているので、やっぱりそういったアカデミズムへの憧れというものがあるみたいです。

夫は、ハルも何か書きなよと勧めてきます。会社の内外に発表する場がないではないのですが、気が進まなくて書きません。面倒臭いです。研修講師依頼からすら逃げ回っているくらいやる気がないのです。だから出世しないのだと思います。

世の中で高給取りと言われている人々は、大体皆活動的です。よく働きますし、仕事以外でも精力的に動いています。私や高給取りでない知り合いはそんなことしません。だからどんどん引き離されていくのだと思います。

格差を訴える人を見ると、彼らほど働いてるのかな、という思いがチラッとよぎります。言いなりに働くことに満足しているから、失業したとき後がなくなってしまうのだと。その言葉は私自身にも跳ね返ってくるんですけどね。