座間9人連続殺人事件
エリートが持つ、正しさへの無批判な信奉ぶり
私の職場は、エリートと言われる社員が多く働いています。
頭が良く、体力に優れ、性格も明るい、非の打ち所がない人々です。ただ、私は彼らが苦手です。
性格が明るく人当たりが良いのは、職場を上手に回すための訓練の賜物であることが透けて見え、見事さに舌を巻きつつも彼らからのお世辞は素直に受け取る気になれないでいることも一因ですが。
正しいことを無条件に信じすぎる点が、何だか異質なものに感じられるのです。
結婚をすれば良い、子どもを産めば良い、昇進すれば良い、、、
私は存在そのものが正しくないので、理由も説明されずに正論で押されると「え、本当にそれでいいの?」とたじろいでしまいます。
アメリカ大統領選の際にも、トランプが勝ったことに対して、周囲の人は皆憤っていましたが、私は彼の支持者の言うことにも一理あるなと思っていたところだったので一方的な断罪ぶりに驚きました。
(そもそもどちらの候補が勝つかということは本質ではなく、有権者の考えを体現する存在が大統領になり、政策になるのだと考えているので、Brexitの件もそうですが、人々が「建前」に疲れ、それを表明することにためらいを失っていることの方が、そしてこれまで大切にされてきたPolitical Correctnessの正当性を問い直すことの方が重要視されるべきなのでは、と思ってしまうのです)
そして、私が一昔前の正論を持ち出したら、この人たちどう反応するんだろうと思ってしまいます。夫の実家と同居するのが良い、介護は嫁が見るのが良い、、、
きっと狂人を見るような目で見られるのでしょうが、何のためらいもなく常識の側につく彼らの方が、私から見れば狂っているように映ります。
離婚はするものではない
数年前に離婚し、以来一人暮らしをしている母の引越しを手伝いに行きました。
彼女の家に上がるのは、初めてです。
実家にあった家具、小物がほぼそのまま残っており、少し懐かしい気持ちになりました。しかし、単身者用の狭いアパートに家族用の家具は大きすぎ、家具の隙間で小さくなっている母は、なんだかとてもみすぼらしく見えました。
部屋に合った家具を買うお金がない貧しさ。
とても直視してはいられず、頼まれた家電の設置や設定を済ませ、そそくさと部屋を後にしました。
自宅に戻り、きちんと整えられた部屋を見て、ほっと一息。私はまだ貧しくはない。
今の生活水準を維持するためには、もちろん仕事を続けなくてはいけませんが、離婚もしてはいけないなと痛感しました。世帯収入が少なくなれば、心細くなって財布の紐も固くなります。身の回りにお金をかけられなくなると、特に若くない人間は一気にみすぼらしくなります。それでもいい、と思えるほど私は無欲無頓着ではいられません。
夫をもっと大事にしよう、と思いました。
子育て中の同僚にムカつかない理由
仕事に復帰して、しばらく経ちました。
同僚に、仕事をしないことで有名な方がいます。育児中です。子どもの病気等に限らず、授業参観、ママ友との会合等の私用でよく休みます。その結果、彼女の仕事を私が肩代わりすることもよくあるのですが、大して腹は立ちません。
1.そもそも戦力としてカウントしていないので、何も期待していない。
2.育児や介護という重労働を免除してもらっているのだから、多少のサポートは当然だと感じている。
3.彼女の評判は周知のものであり、出世できないことが分かっているため、競うべき相手だとは思っていない。無能すぎて同じ人間だとは認知しづらい。
4.子どもを産むと、ホルモンの関係かなにかで極端に知的労働が苦手になるという知識をどこかで聞きかじった。
5.育児で疲れているので、集中力がなかったりミスをするのは当たり前だと思っている。基本的に徹夜明けの社員だと思って接している。
腹が立たない理由をいくつか挙げてみると、こんな感じになります。ちなみに、これまで出会った育児中社員のほぼ全てが要するに「やる気も能力もない人」であるため、偏見めいたものすら芽生えています。子どもを生んでしまうと、こういう人になってしまうんだなぁ、怖いなぁ、子どもなんてますます欲しくないや。と。
子どもがいなくても、無能で仕事をしない人はたくさんいるので、少し色眼鏡で見すぎているきらいはありますけど、ね。どちらにせよ、仕事ができなかったりしなかったりする人のことは尊敬できないので、今日もせっせと働こうと思います。
親戚の集まりに出席
年明けに親戚の集まりに出席しました。普段から行き来のある親族同士が盛り上がる中、不義理が続いている私たちは部屋の隅っこで所在無げにしていました。
時期的に進学の話になったのですが、親戚の進学見込先はどれもパッとしません。学習態度が良い子悪い子様々ですが、愛情込めて丹精してもそんなもんなのか、と思わされます。もちろん、人間の価値は学歴だけではなく、性格の良さなどを加味した総合的なものですから、よそ様の子育ての成果をそれだけで測るのは全く間違っているのですが。でも、たくさんお金と時間をかけて、この程度か…と思うと、無駄遣いに思えてなりませんでした。そんなお金があるなら貯金したい。
母性本能が満たされてしまう
子どもが嫌いだけれど、母性、というか他者にキュンとする、守ってあげたいと思う気持ちは持ち合わせています。
母性が満たされなさすぎると、子どもなりペットなりが欲しくなるのかもしれませんが、現状満たされまくっています。夫が可愛いんですよね。
私にしがみついていないと寝られなくて、夜中にトイレに起きようものなら追いかけてくるところとか。
好物を作ると喜ぶところとか。
すぐにドヤ顔をするところとか。
手をつなぐとニコッとするところとか(ひどい惚気だ…)。
見た目はむくつけき30代のオッサンですが、私には小型犬並みに可愛い存在です。
なんというか、仕草のひとつひとつが、「子どもの理想的な部分を抽出した」ようなんですよね。決して私の気分を悪くさせるような稚気は見せないし、迷惑もかけません。芦田愛菜ちゃんとか寺田心くんと暮らしているような感じです。
こういう理想的な子どもを演じてくれる存在と暮らしていると、ますます本当の子どもはいらないかなぁ…という気分になってきます。
セックスレス
帰国後しばらく、セックスレスになりました。
当時、我々夫婦は仲が良いという自負が大きかったことと、ショックが強すぎたせいもあり、他人に話すことも、こうやって日記に書くこともできませんでした。最近はやや解消されてきたので書いてみる気になりました。
オチは特にありません。セックスレスを解消した一夫婦の記録として読んでいただければ幸いです。
留学中の1年間、私たちは離れて暮らしていたので、ほとんどセックスをしていませんでした。セックスのない暮らしは私にとって不都合のないものでしたが、夫にとってもそうであったようです。
でも、私は再び一緒に暮らすようになれば、以前と変わらずセックスをすると思っていました。しかし、帰国して一ヶ月以上、夫は私に触れませんでした。以前は抱き合って眠っていたのに、ベッドの端と端でひとりで眠る日が続きました。
しばらくして、スキンシップが復活しました。マッサージをしたり、抱き合ったり、外で手をつないだりしました。でも、セックスはありませんでした。「しないの?」と聞くと、夫は傷ついたような表情をしたので、彼も気にしているのだと思うと、それ以上何も言えなくなりました。私が誘えば良いのかと思い、試みたものの、夫はセックスをするとき以外に性器に触れられるのが嫌いらしく、私はひたすら彼がその気になるのを待つしかありませんでした。この間、自身の性欲が減退していくのを感じて焦りました。
それから、時々はセックスをするようになりました。しかしながら夫は義務感でやっているのが見え見えで、なんというか、内容に不満の残るものでした。それでも私たちは「出来たね、出来たね」と互いの健闘を称え合い、一緒に眠りました。この頃には、留学前と同様、抱き合って寝るようになっていました。
それからは頻度が少しずつ上がってきて、”一ヶ月に一度未満”というセックスレスの定義からは脱しています。留学前ほど頻繁ではありませんが。
長期間に亘るセックスの不在、加齢による性機能の低下、原因は正直どうしようもないものです。どうしようもないものに怒っても仕方がないし、長期間家を空けたのは私の責任なので、ただただ普通に過ごすように心がけました。具体的には、「愛されていないからセックスしないのではないか」「魅力が落ちたのではないか」というしょうもない妄想をしないように過ごしていました。落ち込んでいたり、暗い雰囲気の女を抱きたがる男は、(そういうのが好みの男性でなければ)いませんからね。
仲が良くても、セックスレスを解決するのは難しい、という話でした。